【9月11日】1992年(平4) 



 【阪神3-3ヤクルト】阪神の7年ぶり優勝の夢を乗せた、八木裕左翼手の大飛球が甲子園球場の左中間へ上がった。ヤクルト・城友博左翼手、飯田哲也中堅手が懸命に背走、城が後ろ向きになりながらフェンス際でジャンプしたが、打球はスタンドに“入った”。平光清二塁塁審の右手が頭上でグルグル回ったのを見て「どこへ飛んだか分からなかった」八木が“サヨナラ本塁打”と確認。一塁走者のジェームス・パチョレック一塁手に続いて生還すると、一塁側ベンチから小躍りして飛び出してきたタイガースナインに手荒い祝福を受けた。



 阪神ファンが勝利の雄叫びを上げ、まさに「六甲おろし」の大合唱が始まろうとしていたその時--。甲子園の外野の芝生ではヤクルト・野村克也監督が平光塁審に食ってかかっていた。「フェンスに当たって中に入っただろうが。エンタイトルツーベースやで」。サヨナラ負けとなれば、ヤクルトは首位陥落。阪神が4毛差でトップに立つという大一番での“誤審”に、野村監督の態度は強硬だった。やがて久保田治球審ら3人の審判が協議に加わった。まもなく3人からこんな指摘を平光塁審は受けた。「フェンスに当たってスタンドに入った。ホームランじゃない」。



 打球はフェンスに直撃した後、その上に設置されている金網をよじ登るような形でスタンドインしたというのが審判団の見解。平光塁審は一転して判定を二塁打に覆した。エンタイトルツーベースのため、一塁走者は三塁にストップ。サヨナラ勝ちまで取り消された。



 納得しないのは阪神側だ。スコアボードの9回裏には既にサヨナラが勝ちを意味する「2X」の数字が入っていた。審判団の説明に中村勝広監督は激怒した。「平光さん、アンタ一番近いところで見てたんだろ!それでホームランって判定したんでしょ。それでゲームセットだよ。判定変える必要ないでしょ!」勝つと負けるのでは大きな差だ。中村監督はどんな説明にも納得しない。10分、20分、執拗な抗議は続く。痺れをきらした観客からはグラウンドに物が投げられ、10数人が乱入。逮捕者まで出た。



 中断から37分。時計の針は既に午後10時半を指そうとしていた。これ以上長引けば、試合再開は不可能になる。平光塁審は意を決してマイクを握った。「私がホームランと誤った。エンタイトルツーベースとして試合を再開します。なお、タイガースから(セ・リーグに)提訴するとの申し出がありました」。 激しいブーイングの中でのなんとか再開にこぎつけた。7回からリリーフに立ったヤクルト・岡林洋一投手は、6番・新庄剛志中堅手を歩かせ、満塁策を取り、久慈照嘉遊撃手と勝負。中飛に打ち取り、幻の本塁打で終わらなかった試合は延長に入った。



 八木の一撃がウソのように静かな延長戦となった。15回で勝負がつかなければ引き分け。阪神は最後の最後の15回裏に二死満塁と見せ場を作った。打者は途中から守備についた山脇光治遊撃手。カウント2-1から、これが交代から9イニング目の岡林の133球目はスライダー。ハーフスイングだが、久保田球審の判定は「バットが回った」。試合終了は9月12日午前0時26分。試合時間にして6時間26分は、1990年8月4日の大洋-中日17回戦(横浜)の5時間51分を超えるプロ野球新記録となった。日をまたいでの試合終了4万5000人の大観衆は既に2万人程度まで減った。それもそのはず、最寄の阪神電車の終電はもう出た後。阪神側は最後まで応援してくれたファンのために、臨時列車を10本用意した。



 連盟から厳重注意と制裁金3万円の裁定を受けた、プロ野球審判歴27年の平光塁審は、この“誤審”で「緊張の糸がプツンと切れた」と同シーズン限りで引退。出場試合は3060試合。東京六大学で審判をしていた際、島秀之助セ・リーグ審判部長にスカウトそれプロ野球に飛び込み、2軍での経験を積まずに“即戦力”としてデビューしたエリートは、体力の限界ではなく、1つの判定が原因で気持ちの張りをなくし、球界から去っていった。



【2008/9/11 スポニチ】

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