巨人の名二塁手としていぶし銀の働きでV9に貢献した土井正三さんが25日、膵臓(すいぞう)がんのため67歳で死去し、球界に悲しみが広がった。オリックス監督、巨人コーチも歴任した土井氏の早過ぎる死は、ゆかりのある記者にとっても痛恨だ。

 「イチローの才能を見抜けなかった監督」。土井さんはずっとそんなレッテルをはられてきた。

 1991年のドラフト会議でオリックスから4位指名されてプロ入りしたイチローが、土井監督時代の最初の2年間、1軍と2軍を何度も往復したのは事実。

 イチローがメジャー1年目でMVP、新人王を獲得した2001年オフには、「当時のオリックス・土井監督時代から2軍落ちを通告されたイチローは、泣きながら落とさないでくださいと直談判した」という記事を掲載した新聞もあった。

 「あの話は本当ですか」。思い切って土井さんに直接聞くと、率直に答えてくれた。

 「俺だってイチローの素質を見抜いていて、モノになれば10年は1番打者に困らないと思っていた。ただ外野は高橋智、タイゲイニー、藤井とそろっていて使うところがなかった。あの年(93年)で監督を辞めるつもりはなかったから、次の年のことを考え、2軍で試合に出て経験を積んでこいと言って落とした。泣きながら言いに来たのはイチローが初めてで、これはいい選手になると思った」と明かした。

 しかし土井さんはその年限りでオリックス監督を解任され、イチローは翌94年に仰木監督の下で、210安打を打ち大ブレークしたのだ。

 土井さんが01年のマリナーズ・ピオリアキャンプを取材しグラウンドに降りた時、イチローも気づいていたが、結局お互いに一歩が踏み出せず、その後も絡むことはなかったと聞く。

 土井さんはオリックス退団後も、毎年オールスターのファン投票の時期には、イチローに入れていた。00年に「20世紀ベストナイン」という企画があった時にも、イチローに投票した。

 自分を使ってくれなかった監督のことは面白くないかもしれないが、才能は見抜いていたのだと、イチローにわかってほしい。

(塚沢健太郎)


【2009/9/26 ZAKZAK】
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