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【9月20日】1972年(昭47)
【巨人2-1阪神】少しでも甘く入ったら、愛用の圧縮バットがとらえて逃さない。阪神・村山実投手の伝家の宝刀、フォークボールを弾き返すと、白球は甲子園球場のラッキーゾーンを越えてスタンドに突き刺さった。
初回、第1打席に飛び出した巨人・王貞治一塁手のシーズン42号ソロ本塁打。前日19日に同じ甲子園で、山本和行投手から41号本塁打を放ち、過去11度記録された5試合連続本塁打を上回る6試合連続を達成したばかり。翌日、新記録と同じ初回にさらに自己記録を更新する7試合連続弾をぶち込んだ。
「村山さんにしては珍しくフォークが甘く来たね。ヤマ?張ってないよ。村山さんのフォークはヤマを張って打てるようなやさしいボールじゃない」と王。先制本塁打の次は5回に勝ち越しの左犠飛をリリーフした江夏豊投手から打ち、1人でチームの全打点を稼いで、阪神キラーの高橋一三投手の好投に報いた。
米大リーグの連続試合本塁打記録は8試合。日本記録の次は世界記録がもうそこまで近づいていた。「うーん、狙う。滅多にない機会だからね」といつもは“予告本塁打”などしない背番号1が上機嫌に頂点を目指すと断言した。
翌21日の阪神戦の初回、カウント1-2から平山英雄投手のシュートを打った王の打球は右翼へ。高々と舞い上がったが、伸びずにウイリー・カークランド右翼手が捕球。3試合連続初回アーチは見られなかった。その後も一ゴロ、右前打、一邪飛と本塁打は飛び出さず、試合も0-4で完封負け。9月11日の広島19回戦(後楽園)で宮本洋二郎投手から34号弾を放ってから7試合連続、1試合2本2回を含む計9本塁打で記録への挑戦は終わった。
王の記録は、阪神の主砲ランディ・バース一塁手が86年6月18日のヤクルト11回戦(甲子園)から26日の巨人12回戦(後楽園)まで7試合連続を花って並ばれたが、バースは律儀に1試合1本ずつの本塁打は。王は1試合2発が2回あり、本数では上回っていた。
王に7試合連続となる一発を浴びた、往年のエース村山は、ベースを一周する王の姿をぼう然と見つめながら、この時頭の中に“引退”の2文字がよぎった。「フォークが思うようにコントロールできない。オレはもうダメだ…」。
いつでも全力投球。巨人にライバル意識をメラメラ燃やし、通算222勝のうち39勝をマークしてきた。投手兼任監督で迎えたシーズンだったが、開幕9試合目にして、“犬猿の仲”といわれた金田正泰ヘッドコーチに指揮権を委譲してまで、一投手に戻ってプライドをかなぐり捨ててマウンドに上がってきたが、ウイニングショットを完璧に打たれたことに村山はがく然とした。
最後の登板は10月7日。甲子園での巨人25回戦。この試合でフォークが昔のように決まれば、また巨人に、ONに挑む決意がわき上がってくると信じて登板した。しかし、その思いは初回で打ち砕かれた。王に先制の46号2ランを浴びると、続く4番長嶋茂雄三塁手にも26号弾を食らった。3回6安打5失点。愛息の目の前でKOされた。「14年間の総決算のつもりで投げた」という村山はこの時完全に燃え尽き、巨人は村山の目の前で8年連続優勝を決めた。
09年時点で37年が過ぎてもプロ野球記録の王の7試合連続本塁打。それは稀代の名投手にユニホームを脱ぐ決意をさせた一発でもあった。
【2009/9/20 スポニチ】
【巨人2-1阪神】少しでも甘く入ったら、愛用の圧縮バットがとらえて逃さない。阪神・村山実投手の伝家の宝刀、フォークボールを弾き返すと、白球は甲子園球場のラッキーゾーンを越えてスタンドに突き刺さった。
初回、第1打席に飛び出した巨人・王貞治一塁手のシーズン42号ソロ本塁打。前日19日に同じ甲子園で、山本和行投手から41号本塁打を放ち、過去11度記録された5試合連続本塁打を上回る6試合連続を達成したばかり。翌日、新記録と同じ初回にさらに自己記録を更新する7試合連続弾をぶち込んだ。
「村山さんにしては珍しくフォークが甘く来たね。ヤマ?張ってないよ。村山さんのフォークはヤマを張って打てるようなやさしいボールじゃない」と王。先制本塁打の次は5回に勝ち越しの左犠飛をリリーフした江夏豊投手から打ち、1人でチームの全打点を稼いで、阪神キラーの高橋一三投手の好投に報いた。
米大リーグの連続試合本塁打記録は8試合。日本記録の次は世界記録がもうそこまで近づいていた。「うーん、狙う。滅多にない機会だからね」といつもは“予告本塁打”などしない背番号1が上機嫌に頂点を目指すと断言した。
翌21日の阪神戦の初回、カウント1-2から平山英雄投手のシュートを打った王の打球は右翼へ。高々と舞い上がったが、伸びずにウイリー・カークランド右翼手が捕球。3試合連続初回アーチは見られなかった。その後も一ゴロ、右前打、一邪飛と本塁打は飛び出さず、試合も0-4で完封負け。9月11日の広島19回戦(後楽園)で宮本洋二郎投手から34号弾を放ってから7試合連続、1試合2本2回を含む計9本塁打で記録への挑戦は終わった。
王の記録は、阪神の主砲ランディ・バース一塁手が86年6月18日のヤクルト11回戦(甲子園)から26日の巨人12回戦(後楽園)まで7試合連続を花って並ばれたが、バースは律儀に1試合1本ずつの本塁打は。王は1試合2発が2回あり、本数では上回っていた。
王に7試合連続となる一発を浴びた、往年のエース村山は、ベースを一周する王の姿をぼう然と見つめながら、この時頭の中に“引退”の2文字がよぎった。「フォークが思うようにコントロールできない。オレはもうダメだ…」。
いつでも全力投球。巨人にライバル意識をメラメラ燃やし、通算222勝のうち39勝をマークしてきた。投手兼任監督で迎えたシーズンだったが、開幕9試合目にして、“犬猿の仲”といわれた金田正泰ヘッドコーチに指揮権を委譲してまで、一投手に戻ってプライドをかなぐり捨ててマウンドに上がってきたが、ウイニングショットを完璧に打たれたことに村山はがく然とした。
最後の登板は10月7日。甲子園での巨人25回戦。この試合でフォークが昔のように決まれば、また巨人に、ONに挑む決意がわき上がってくると信じて登板した。しかし、その思いは初回で打ち砕かれた。王に先制の46号2ランを浴びると、続く4番長嶋茂雄三塁手にも26号弾を食らった。3回6安打5失点。愛息の目の前でKOされた。「14年間の総決算のつもりで投げた」という村山はこの時完全に燃え尽き、巨人は村山の目の前で8年連続優勝を決めた。
09年時点で37年が過ぎてもプロ野球記録の王の7試合連続本塁打。それは稀代の名投手にユニホームを脱ぐ決意をさせた一発でもあった。
【2009/9/20 スポニチ】
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