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球児が泣いた。お立ち台の上で、ぽろぽろと涙をこぼした。

8月27日、ジャイアンツ戦。タイガースファンが待ちに待った藤川投手が、マウンドに帰ってきた。


1-1の同点で迎えた八回表。投手交代がアナウンスされると、甲子園球場を埋めた満員のファンが大歓声を上げる。8月9日のベイスターズ戦で1/3回を投げて以来、18日ぶりのマウンドで藤川投手は躍動した。

まずは鈴木を149キロ直球で三塁ゴロに打ち取ると、高橋、李をそれぞれ150キロ超えで空振り三振に斬った。

するとその裏、球児の魂が乗り移ったかのように打線が奮起!金本選手が敬遠され一死満塁で打席に入った濱中選手は、久保のフォークに食らい付くと右手1本でセンター前に運び、決勝点を叩き出した。二塁走者シーツ選手が三塁で封殺された為、記録は「センターゴロ」となったが、打った濱中選手は「ヒットにならなかったのはどうでもいい。とにかく勝ててよかった」とチームの勝利に声を弾ませた。


これだけで終わらない。鳥谷選手がセンター前タイムリーで続き、2点目を追加した。

こうなれば逃げ切るのみ。九回も続投した藤川投手は、二岡に今季初本塁打を許しはしたが、3奪三振で締め、連敗も5で止めた。

試合後、先発の杉山投手とともにヒーローインタビューを受けた藤川投手は、「ホントにファンの皆さんもチームが連敗して悔しいと思いますが、選手も悔しい思いでやってますんで…」ここまで話すと声を詰まらせた。スタンドのファンが口々に「きゅうじぃ~!」と声援を送ると、胸がいっぱいになった藤川投手の目からは、涙がとめどなく溢れ出た。「言葉にならない気持ちで…毎日ホントに苦しいんですけど…」ここで涙を拭い笑顔を見せた藤川投手は、「まだまだファンの皆様の為に頑張ってることをよく分かって下さい!」心の底からのメッセージを絞り出すと、トラッキーから手渡された「青いハンカチ」ならぬ青いタオルで顔を拭い、大歓声に手を上げて応えた。


「藤川球児」の名を、そしてその右腕から放たれる剛速球を、広く世に知らしめたのは今年のオールスターゲームだ。球宴史に残るであろうバファローズ清原選手との名勝負に、野球ファンのみならず多くの人々が酔いしれた。

しかしその間、「疲労」という魔物は徐々に藤川投手に忍び寄って来ていた。前半戦43試合を投げ、オールスターを挟んでの後半戦、7月28日のスワローズ戦で2イニングス投げた翌々日、今季最長の3イニングスを投げた。

8月3日のジャイアンツ戦では4点リードの九回裏に登板したが、変化球主体のピッチングに切り換えた。9日のベイスターズ戦で1/3回投げた後、寝違えによる首痛の為、12日に1軍選手登録を抹消。再び登録されたのが22日だ。


18日からファームでブルペンに入りはしたが軽い調整投球のみ。1軍に上がってからも、ブルペンでは6~7分の力でしか投げていない。「怖さがあるんだろう」。そう話すのは吉田ブルペンコーチだ。「また痛くなったらどうしよう、壊れたらどうしようという思いが頭の隅にあるんだろうね。球児自身、壊れて去って行ったピッチャーをたくさん見てきてるしね」。藤川投手の心情を慮る。

故障への不安と恐怖。だが全力で投げられないブルペンから一変、マウンドでは150キロを超す球を投げる。それはただもう、勝利への執念、連覇への執念に他ならない。何故ならそこに、応援してくれる人達がいるからだ。

だから、分かってもらいたいのだ。自分達の思いを、悔しさを。自身も名古屋での首位攻防戦中に戦列を離脱した歯がゆさがある。チームに対する心ないヤジも度々耳にし、胸を痛めたこともある。「選手は皆、誰の為にやってるのかということを分かってほしいんです」。


球児の心の叫びはファンの胸を打ち、ナインの志気を今一度鼓舞した。

ファンと一丸となったタイガースは、次のドラゴンズ戦を2勝1分と勝ち越すと、その勢いのまま横浜に乗り込み、引き分けを挟んで5連勝で首位ドラゴンズとのゲーム差を6に縮めた


連勝の立役者として、忘れてはならないのが「救世主」の存在だ。そう、吉野投手だ。

2003年は56試合に登板し、リーグ優勝に大きく貢献。日本シリーズでの活躍には、星野前監督から大絶賛を受けた。それが'04年は開幕直前に左手指を痛めたこともあり、満足なシーズンを送れなかった。そして昨年は登板試合数が12にまで落ち込んだ。

今季はオープン戦から好調で開幕メンバーに入ったものの、登板機会なく抹消。8月に再登録されたが、またもやマウンドに上がることなくファームに逆戻り。これにはさすがに気落ちした。

けれど吉野投手は決して投げやりにならなかった。常にモチベーションを維持することに努めた。「チャンスが来た時に必ずモノにしてやるっていう、その気持ちだけですよ」。炎天下の鳴尾浜球場でダラダラと汗を滴らせながら、吉野投手は来る日も来る日も、辛抱強く「その日」を待ち続けた。


やっと訪れた「その日」は、シーズンも終盤に入った8月25日。「ただ抑えるだけだよ。ずっと状態いいしね」と意気込む吉野投手。この日からはジャイアンツ戦。「左が多いなって思ったよ。これはチャンスだな。ここで抑えて“株”を上げてやろうってね」。早くマウンドに上がりたくてしかたない…そんなウズウズとした昂揚感が、吉野投手の全身から伝わってきた。

翌日、先発・オクスプリング投手が序盤で崩れた為、四回一死二、三塁で出番が回ってきた。ついついキョロキョロしてしまう。懐かしい歓声、懐かしい風、懐かしい匂い…「あぁ…お客さんいっぱい入ってんなぁ…」。改めて感激が沸き上がってくる。

まずは内海を空振り三振に。脇谷にはヒットを許したが、鈴木を空振り三振に仕留めてチェンジ。続く五回はヒットで出した清水を一塁に置いて、李を併殺打に打ち取り、1回1/3を自責点0で今季初登板を終えた。

「四球がなかったのがよかったね。この対戦がまた次につながる。李にも『ここに投げれば』というのが掴めたし、逆に打たれた脇谷には『これがよくなかった』というのがわかった。また次に生かせればね」。試合後の吉野投手の顔は、充実感に輝いていた。

次の登板は30日のドラゴンズ戦。3-3から突入した延長戦は最終回の十二回。二死一塁。絶対に打たれてはならない緊迫した場面だ。落ち着いて福留を一塁ゴロに仕留め、これでチームに負けはなくなった。

翌31日は四回、二死満塁のピンチ。昨日から当たっている井上と対峙するが、難無く一塁ゴロに抑えて流れを味方に引き寄せた。


そして9月2日。2点リードの九回、岡田監督が交代を告げた名前は、藤川投手ではなく吉野投手だった。ルーキーイヤーにプロ初登板を飾ったマウンドに上がると、石井、藤田、金城をそれぞれ内野ゴロに仕留め、プロ7年目にして初のセーブを手にした。最高の笑顔で仲間とハイタッチを交わすと「皆でカバーして球児の負担を軽くしてあげたい」と話した。

「今季初登板が遅かったけど、『もっと早く吉野を使っておけばよかった』って首脳陣を後悔させるくらい、残り試合を抑えてチームの勝利に貢献したい!」

'03年優勝の立役者が、奇跡の逆転優勝に向けての「救世主」となる時がきた。


【阪神タイガース公式サイト トラ番担当記者コラムVol.2006-26 (2006年9月7日)】
http://www.hanshintigers.jp/news/column/c06_26.html
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