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 ■一度きりの甲子園に悔い

 「あ~また練習だ」

 そう思った。負けたものは仕方がない。昭和47年。春の甲子園(選抜高校野球大会)の1回戦で敗れた習志野高校2年の4番打者は、さばさばしていた。

 「高校生ですからね。自分のことしか考えてないですよ」

 対戦した東洋大姫路の校歌が流れるのを聞いて、レフト側のアルプス席に走った。応援団にあいさつをして、隣にいた先輩の嗚咽(おえつ)に気づいた。

 「ぼとっぼとって地面に涙が落ちてた。そのときに、なんでもっとがんばれなかったんだろうって思ったんです。仕方ないと思った自分が恥ずかしくて悔しくて…」

 掛布は泣いた。

                * *

 習志野高校は、掛布が入学する数年前に夏の甲子園を制していた。そんな強豪チームで、1年生の秋から4番を打った。

 「僕らの学年にはいい選手が多くてね。練習試合も負け知らずでしたから。『上級生がいなくても大丈夫や』みたいな雰囲気があったんですね」

 そんなチームがうまくいくはずがない。反目が強まり、2年生が練習をボイコットする事態を招いた。監督やコーチがどう奔走したか、約1週間後に部活動は再開したそうだが、その日の練習後、1年生は2年生の集まる部室にひとりずつ呼び出された。

 「前に入ったヤツのうめき声とか聞こえてくるわけです。うわぁ…と思ってね。入ったら『正座しろ』ですよ。習志野の正座ってのは、手を後ろに組んで目をつぶれってことで…」

 座ったとたん、「手やら足やら、なにがなんだかわからないぐらいボカボカボカッて飛んできた」。いまなら大問題だろうけど、「ビンタやケツバットが当たり前で、頭から血を吹き出したやつもいましたね」なんてころの話だ。

 「そのあと、2年生が1年生を集めて言ったんです。『これで水に流そう』って。儀式ですね。ボクサーが試合後に抱き合うみたいな。でも、いま思えば、それで甲子園に行けたようなもんですよ」

 結束したチームは強くなった。掛布も打ちまくった。秋の大会では打率4割をマーク。そうやって迎えた甲子園大会の初戦だった。

                * *

 「過去の試合のことはけっこう覚えてるほうなんですけど、あの試合だけは、記憶のない記憶っていうのかな、エアポケットみたいで。覚えてるのは満塁ホームランの場面だけ」

 打者はのちに阪神タイガースで同僚になる山川猛。カーブをバットがとらえる。アッと思う間もなく、ショートを守る掛布のはるか頭上を打球が飛んでいった。

 「その瞬間に自分たちの野球が飛んじゃったような気がします。独特の雰囲気にのまれたんでしょうね」

 自身は4打数1安打だったというが、スコアも定かではない。たった1試合の甲子園は、あいまいな記憶の中にある。ただ、強烈なインパクトだけが残っている。「僕の野球人生というのは、あの試合に戻ります」というほどの。

 「失敗といっても、エラーや三振の話じゃない。4番として、チームとして、違った何かができたんじゃないかって、いまだに考えるんですよ。でも、きっといつまでも、答えはないままなんでしょうね」

 =敬称略

(文・篠原知存)

                   ◇

【プロフィル】掛布雅之(52)

 かけふ・まさゆき 昭和30年生まれ。千葉県の習志野高校卒。入団テストを受けて、48年のドラフトで6位に指名され、阪神タイガースに入団。不動の4番打者に成長し、「ミスター・タイガース」と呼ばれた。63年、33歳で退団するまでに本塁打王3回(57年は打点王との2冠)、ベストナイン7回、ゴールデングラブ6回を獲得。通算349本塁打。

【2007/12/4 MSN産経ニュース】
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