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黒田親子とボンズ、グリフィー親子
「父親超え」を果たした黒田
黒田博樹(ドジャース)は、かつて南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)などで主に外野手としてプレーした黒田一博氏(昨年8月17日逝去)の次男である。プロ野球選手を父親に持つ日本人選手がメジャーリーグ入りするのはもちろん初めてのことだ。
黒田親子の場合、一博氏は全盛期の南海でレギュラーの外野手としてリーグ優勝にも貢献したが、8年間の現役生活で個人タイトルとは縁がなかった。これに対し、息子の博樹は優勝にこそ恵まれなかったものの、通算103勝をマークし、最多勝、防御率1位、ベストナインなど数多くのタイトルを獲得している。このように息子が「父親超え」を果たしたケースは、日本のプロ野球では、黒田のほか、坪井智哉(北海道日本ハム)、金城龍彦(横浜ベイスターズ)の2人ぐらいしか見当たらない。
坪井の父・新三郎氏(元中日ドラゴンズほか)は、中日に入団した1970年にウエスタン・リーグの首位打者に輝いたものの、通算打率1割6分9厘、2本塁打で77年に現役を引退した。それに対し、息子の智哉は98年に阪神タイガースに入団し、昨年までの10シーズンで通算906安打、打率2割9分5厘を残している。金城の父・晃世氏も67年に近鉄バファローズ(現・オリックス・バファローズ)に入団したが、無安打のまま2年で退団。三男の龍彦は99年に横浜に入団して以降、9年間で通算1112安打、打率2割9分1厘をマークしている。
あまりに有名なボンズ、グリフィー親子
一方、黒田が今季から挑戦するメジャーリーグでは、歴代の親子選手がどのような成績を残しているのだろうか。まず息子が野球の歴史上でも圧倒的な実績を残しており、父親も一流だったのが、ボビーとバリー(前ジャイアンツ)のボンズ親子と、ケン・グリフィー・シニアとジュニア(レッズ)親子である。ボビーとバリーの合計本塁打数1094本(父332、子762)はメジャー歴代1位で、グリフィー親子の745本(父152、子593)がそれに続く。グリフィー親子は史上初の親子同時現役メジャーリーガーでもあり、90年には息子の所属していたマリナーズに父が移籍してチームメートとなり、史上唯一の親子アベックアーチを放っている。
また、将来上位に名を連ねる可能性があるのは、息子のプリンス(ブルワーズ)が昨年50本塁打を放って、父セシル(319本、元タイガースほか)と合計399本を記録しているフィルダー親子だ。史上初めて親子での年間50本塁打も記録したが、現在この2人の関係は多額の負債で家庭崩壊を招いた父セシルが原因で断絶状態にある。
息子が監督として大成するケースも
もちろん、息子が父に遠く及ばなかった例もある。たとえば61年、インディアンス在籍時にオールスターに選出されたティト・フランコーナ外野手は、15年の現役生活で1719試合に出場し、1395安打、125本塁打、打率2割7分2厘。59年には規定打席にあと「1」足りず、3割6分3厘の高打率を残しながら首位打者を逃している。一方、その息子も10年間メジャーに在籍したものの、708試合、474安打、16本塁打、打率2割7分4厘と、レギュラーとして活躍するまでには至らなかった。しかし、引退後は指導者としての道を進み、昨年2度目のワールドシリーズ制覇を果たした。現レッドソックス監督のテリー・フランコーナは、父が果たせなかった世界一に、2回もたどり着いたのである。
<了>
■上田龍/Ryo Ueda
ベースボール・コントリビューター(野球記者・野球史研究者)。出版社勤務を経て1998年からフリーのライターに。2004年からスカイパーフェクTV!MLB中継の日本語コメンテーターも務める。著書に「MLBボールパークへの旅」など。野球文化學會会員、野球体育博物館個人維持会員。公式サイト&ブログ「Ryo’s Baseball Cafe Americain」も運営中
【2008/3/18 スポーツナビ】
「父親超え」を果たした黒田
黒田博樹(ドジャース)は、かつて南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)などで主に外野手としてプレーした黒田一博氏(昨年8月17日逝去)の次男である。プロ野球選手を父親に持つ日本人選手がメジャーリーグ入りするのはもちろん初めてのことだ。
黒田親子の場合、一博氏は全盛期の南海でレギュラーの外野手としてリーグ優勝にも貢献したが、8年間の現役生活で個人タイトルとは縁がなかった。これに対し、息子の博樹は優勝にこそ恵まれなかったものの、通算103勝をマークし、最多勝、防御率1位、ベストナインなど数多くのタイトルを獲得している。このように息子が「父親超え」を果たしたケースは、日本のプロ野球では、黒田のほか、坪井智哉(北海道日本ハム)、金城龍彦(横浜ベイスターズ)の2人ぐらいしか見当たらない。
坪井の父・新三郎氏(元中日ドラゴンズほか)は、中日に入団した1970年にウエスタン・リーグの首位打者に輝いたものの、通算打率1割6分9厘、2本塁打で77年に現役を引退した。それに対し、息子の智哉は98年に阪神タイガースに入団し、昨年までの10シーズンで通算906安打、打率2割9分5厘を残している。金城の父・晃世氏も67年に近鉄バファローズ(現・オリックス・バファローズ)に入団したが、無安打のまま2年で退団。三男の龍彦は99年に横浜に入団して以降、9年間で通算1112安打、打率2割9分1厘をマークしている。
あまりに有名なボンズ、グリフィー親子
一方、黒田が今季から挑戦するメジャーリーグでは、歴代の親子選手がどのような成績を残しているのだろうか。まず息子が野球の歴史上でも圧倒的な実績を残しており、父親も一流だったのが、ボビーとバリー(前ジャイアンツ)のボンズ親子と、ケン・グリフィー・シニアとジュニア(レッズ)親子である。ボビーとバリーの合計本塁打数1094本(父332、子762)はメジャー歴代1位で、グリフィー親子の745本(父152、子593)がそれに続く。グリフィー親子は史上初の親子同時現役メジャーリーガーでもあり、90年には息子の所属していたマリナーズに父が移籍してチームメートとなり、史上唯一の親子アベックアーチを放っている。
また、将来上位に名を連ねる可能性があるのは、息子のプリンス(ブルワーズ)が昨年50本塁打を放って、父セシル(319本、元タイガースほか)と合計399本を記録しているフィルダー親子だ。史上初めて親子での年間50本塁打も記録したが、現在この2人の関係は多額の負債で家庭崩壊を招いた父セシルが原因で断絶状態にある。
息子が監督として大成するケースも
もちろん、息子が父に遠く及ばなかった例もある。たとえば61年、インディアンス在籍時にオールスターに選出されたティト・フランコーナ外野手は、15年の現役生活で1719試合に出場し、1395安打、125本塁打、打率2割7分2厘。59年には規定打席にあと「1」足りず、3割6分3厘の高打率を残しながら首位打者を逃している。一方、その息子も10年間メジャーに在籍したものの、708試合、474安打、16本塁打、打率2割7分4厘と、レギュラーとして活躍するまでには至らなかった。しかし、引退後は指導者としての道を進み、昨年2度目のワールドシリーズ制覇を果たした。現レッドソックス監督のテリー・フランコーナは、父が果たせなかった世界一に、2回もたどり着いたのである。
<了>
■上田龍/Ryo Ueda
ベースボール・コントリビューター(野球記者・野球史研究者)。出版社勤務を経て1998年からフリーのライターに。2004年からスカイパーフェクTV!MLB中継の日本語コメンテーターも務める。著書に「MLBボールパークへの旅」など。野球文化學會会員、野球体育博物館個人維持会員。公式サイト&ブログ「Ryo’s Baseball Cafe Americain」も運営中
【2008/3/18 スポーツナビ】
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