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【5月21日】2008年(平20) 

 【阪神7-3オリックス】「試合終了後にコリンズ監督の会見があります」。オリックスの球団広報からの通達があったのは、スカイマークスタジアムでのセパ交流戦、オリックス-阪神2回戦の試合中だった。薄々「ついに来たか」と番記者の多くがそれほど驚かなかったが、試合終了後のコリンズ監督の第一声は何者も拒絶するほど、冷たいものだった。

 「質疑応答は一切受け付けない。すべて私が話をする」。用意されたいすにも座らず、仁王立ちしたオリックス・テリー・コリンズ監督はそう切り出した。

 「この数週間、チームを見て自分に何ができるか考えた時、限界が見えた。これが引き際だと思い(辞任を)決断した。期待してもらった成績を残せず申し訳ないが、野球は情熱がなくなった者が続けていくわけにはいかない」。一気にまくし立てた、その表情は紅潮し、情熱がなくなったというよりは怒りに満ちた辞任発表だった。

 この時点でオリックスは21勝28敗の5位。決してほめられた成績ではなかったが、チーム状態は上昇しつつあり、2カード連続で勝ち越していた。それでも3年契約の半ばで「1週間考え続けた」末の結論は、シーズン途中での“指揮権放棄”だった。

 大リーグ、アストロズ、エンゼルスで指揮を執り通算444勝(434敗)。選手育成の手腕を買って、前監督でもある中村勝広球団本部長がドジャースの育成部長だったコリンズを引っ張ってきたのは、06年オフ。2000年以来、8年連続Bクラスに沈むチームの再建を託した。しかし、1年目は3年ぶりの最下位。左投手が先発だと、どんなに当たっている左打者でもスタメンから外し、杓子定規的にに右打者を起用。先発投手も内容にかかわらず、100球をめどに強制的に交代させるなど、自らのやり方に固執。柔軟さを欠いた采配が目についた。

 機動力野球を標榜した1年目だったが、それが機能しないと、2年目は180度違う重量打線で打ち勝つ野球を掲げた。ローズ、カブレラ、ラロッカの外国人大砲に飽き足らず、阪神から浜中治外野手、横浜から古木克明外野手とセの未完の大砲を手当たりしだい獲得。機動力のある、平野恵一内野手を阪神に、大西宏明外野手を横浜にそれぞれ放出した。

 「何を考えているか分からない」と複数の選手、コーチが球団に訴えた。言葉の壁、日米の指導法の違いなどの障害はあったにしても、コリンズがどういう野球をしたいのかが伝わらず、溝は深まった。08年のシーズンが始まると、冷戦状態で監督はチームをコントロールできなくなっていた。ゴールデンウイーク中のソフトバンク戦の試合前には「誰も言うことを聞かない。勝手にすればいい」と公言するほどで、辞任は時間の問題だった。エンゼルス時代の担当記者によれば、99年にエ軍を退団した際にも選手との確執が原因だった。「自分のやり方に従わない者は認めないというボス。最後は全員が無視していた」。

 「日本で自分のやり方が失敗したとは思わない」という捨てゼリフを残してコリンズは日本を去った。後任の大石大二郎ヘッドコーチの下、オリックスは出直しを図った。チームは腐りきっていたわけではなく、一体となって戦うことに飢えていた。投球制限や自主練習の禁止というコリンズ流を撤廃し、思い切ってがむしゃらにやることを掲げた新生オリックスは後半戦若手投手の成長などで快進撃。シーズン2位となり、クライマックスシリーズに進出した。パ・リーグの他球団は半分冗談、半分本気で言った。「オリックス2位躍進の原動力はコリンズ前監督だ」。

 03年4月に石毛宏典監督を解任して以来、2シーズンまともに指揮を執った監督がいなかったオリックス。09年、大石監督は2シーズン目。もう歴史は繰り返えしてほしくない。


【2009/5/21 スポニチ】

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