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【5月14日】2002年(平14) 

 【ダイエー5-4オリックス】飛距離は文句なし。後は切れないでくれ、と祈るだけだった。異国の地の夜空に舞い上がった右翼ポール際の大飛球は、スタンドの場外へと消えた。

 プロ野球初の台湾での公式戦。台北市・天母球場の立ち見1000人を含む、超満員の1万1000人の大歓声と拍手の中、「再見全塁打(中国語でサヨナラ本塁打)」を放ったダイエーの主砲・松中信彦内野手は両腕を高々と上げ、ダイヤモンドを1周した。

 オリックス・嘉勢から放った、7号サヨナラ弾。カウント0-2から内角寄りの甘いカーブを完ぺきにとらえた当たりだった。ホームで待ち受けたナインに手荒い祝福で歓迎された後、王貞治監督とガッチリ握手。王監督は自分のほおをつねってみせ「奇跡じゃないか?出来すぎだよ」とおどけるほど、上機嫌だった。「監督のためにも何とか打ちたいと思っていた。熱狂的な応援も嬉しかったし、アマ時代に負けられない戦いをした国際試合を思い出した」と松中は興奮しながらヒーローインタビューを受けた。

 王監督ゆかりの地・台湾での歴史的な1戦に松中は期するものがあった。開幕から打線好調のホークスのなかにあって主軸の左打者は不振にあえいだ。この日の試合前まで打率2割3分4厘。それでも王監督は結果を問わず、黙って使い続けた。打撃練習中は付きっ切りでアドバイスを送る毎日。なんとしてもその期待に台湾で応えたかった。

 海外での試合が松中の気分を変えた面もあった。新日鉄君津時代に日本代表の4番としてアトランタ五輪に、プロに入ってからもシドニー五輪。サヨナラ本塁打は、絶対に負けられない戦いの時の集中力がよみがえった一撃でもあった。

 7回表まで0-3とダイエーにとって劣勢のゲームで、先発金田政彦投手の前ににわずか3安打に抑えられていたが、「台湾初の公式戦に負けるわけにはいかないんですよ」とラッキーセブンに小久保裕紀三塁手の11号ソロが出ると、2死から大道典嘉一塁手、秋山幸二右翼手の連続本塁打で同点に。そして松中の決着アーチとダイエーは計4本塁打。オリックス・セギノール内野手の2本塁打と合わせ、計6本塁打が飛び交った空中戦に王監督は勝ったこと以上に満足していた。「うちの場合は打線。特にホームランがウリ。そういう意味ではダイエーらしい野球が見せられた。毎日こんな試合はできないけど、お客さんに日本の野球を印象付けられたんじゃないかな」。

 前売り券はほぼ完売。それでも球場に入れてくれと、台湾の野球ファンが殺到。開門前に約2000人の列ができた。同じ台北市内では同夜、台湾プロ野球の兄弟-太陽隊の試合も行われていたが、観客はわずか900人。始球式では、試合前に「君が代」を歌った台湾でも人気の歌手松浦亜弥が打席に立つという話題性もあったが、それ以上にレベルの高い日本のプロ野球を観戦したいという熱意が観客からは伝わってきた。

 沖縄が米国の占領下だった時代の公式戦を除き、日本のプロ野球が海外で公式戦を行ったのは、日中戦争真っ只中の1940年(昭15)に旧満州国(現中国東北部)で行われて以来、実に62年ぶりのことだった。


【2009/5/14 スポニチ】
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