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【9月5日】1966年(昭41) 

 前年の65年に高騰する新人選手の契約金と年俸を抑えるためにスタートした新人選手選択会議=ドラフト会議。2年目のこの年は2度行われた。後に05年から3年間、高校生、それに大学・社会人ドラフトと分離開催されたが、それとは違う基準で分けられたものだった。

 東京・日生会館で行われたこの年1回目のドラフトの選手選択基準は「国体に出場しない高校生と社会人選手」。11月に行われた2回目は「国体に出場した高校生、大学生」というものだった。指名方式は各球団があらかじめ指名希望選手30人リストを提出。その中カから、順位を付けて最大12人を指名できるというもの。同じ順位で重複した場合は抽選となった。

 この年の超目玉は大阪学院高の左腕・江夏豊投手。スピードガンのない時代、最速何キロのボールを投げていたかは不明だが、各球団スカウトが口をそろえて言うには「ストレートは金田正一投手の全盛期より速い」。案の定、指名希望リストでサンケイ(現ヤクルト)を除く11球団が記載。うち、1位指名に名乗りを上げたのは阪神、阪急、東映(現日本ハム)、そして巨人の4球団だった。

 本番のくじを引く予備抽選で1番くじを引いたのは、阪神の戸沢一隆代表だった。「幸先がいいな」と笑った代表は、本抽選でも「○」が書かれた札の入った封筒を引き当てた。「去年はあれこれ考えて、誰もマークしていない投手(香川・土庄高、石床幹雄投手)を指名したが、今年は正攻法。満足、大満足」と戸沢代表。「阪神・江夏」の第一歩はここから始まった。

 「いずれはプロに行って力を試したと思うけど、今は自信がない。法政か東海大に進学するつもり」と、プロ入りは微妙な発言をしていた江夏。しかし、阪神が交渉権を獲得したとマスコミにから伝えられると、「母親と一緒に住める在阪球団が僕の希望やから、阪神ならピッタリですわ」と満面の笑みを浮かべ、一気にプロ入りに気持ちが傾いた。

 江夏を逃した巨人は高知・伊野商高の山下司内野手、阪急は三重高・水谷孝投手、東映は東京・日大一高の桜井憲投手をそれぞれ指名したが、江夏を獲得できなかったのは大きかった。水谷は阪急、巨人で現役12年で53勝(27敗)、桜井は8年で6勝(17敗)止まり。江夏が18年でマークした206勝(158敗)193セーブには遠く及ばなかった。打者としてジャイアンツ入りした山下も通算20安打1本塁打で打率1割5分6厘。現役最後の77年は日本ハムでプレーした。

 この66年の1回目のドラフトで指名された選手はちょうど100人。投手で江夏の次にプロで実績を残した投手(後年プロ入りした選手を除く)は、サンケイ9位指名、広島・福山電波工高(現近大福山高)の浅野啓司投手で86勝(116敗10S)、打者の代表は広島2位指名の広島商高・三村敏之内野手で通算1254安打149本塁打。江夏が正真正銘、このドラフトの“1位選手”だったことが分かる。


【2009/9/5 スポニチ】
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