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【6月14日】1992年(平4) 

 【阪神6-0広島】大きくバウンドした打球が頭の上を抜けた。「やられた…」。マウンドの阪神・湯舟敏郎投手はその瞬間記録をあきらめた。

 和田豊二塁手は懸命に前進した。「オレのとこへ来いと思っていた。エラーしても、記録は大丈夫だから。打たれた時は抜けたと思ったけど…」(和田)。捕球すると、厳しい体勢から一塁へ送球。89年の盗塁王、広島・正田耕三二塁手の足が先か、ジェームス・パチョレック一塁手のミットに白球が収まるのが先か--。アウトになってもセーフになってもおかしくないタイミングで鈴木徹一塁塁審がコールした。「アウトォ!」。

 甲子園球場、午後4時42分。5万人の大観衆が一斉に雄たけびを上げた。投球数123、奪三振11、内野ゴロ8、内野(邪)飛球2、外野飛球6、四球2、そして被安打0。プロ野球史上58人目69度目、湯舟がノーヒットノーランを達成した。阪神の無安打無得点試合投手は、73年8月30日に対中日20回戦(甲子園)で記録した、江夏豊投手以来、19年ぶり7人目(当時)の推挙だった。

 「人生の運、すべて使ったような気がする。僕なんかが球史に名を残していいのかな…」。大記録達成にも実感が沸いてこない様子。それもそのはず、ここ1カ月の間、勝ち星がないどころか、評価できる投球は1試合たりともなかったのだ。

 5月10日、同じ甲子園でのデーゲーム、広島8回戦。勝てば優勝した85年10月24日以来、2390日ぶりの単独首位に立つというゲームで、打線の援護があり3回までに6点をもらった湯舟だが、4回に突然乱れて4失点でKO。試合も7-10で逆転負けした。その後も2試合先発したものの、4回をもたずに降板。6月にはいると、ローテーションから外された。

 久しぶりに巡ってきた先発。やられた相手も同じ広島なら、試合開始も同じ日曜日午後2時。もう一度やり直すならこの日しかなかった。女房役は若手の山田勝彦捕手からベテランの木戸克彦捕手に代わっていた。

 木戸は言った。「とにかく4回まで行こう。その後は行った後に考えようや」。責任投球回数の5回と言わずに、KOされ続けてきた“鬼門”をまずクリアしようという木戸の心遣いで気持ちが楽になった。

 “既定”の4回を投げ無失点。出した走者は四球と失策の2人だけ。ベンチに戻った木戸が言った。「おい、まだノーヒットやぞ」。「いつか打たれますよ」と笑顔で返したが、それが現実になった。前半は真っ直ぐ主体、後半はスライダーとカーブ主体でボール球を振らせた。木戸のサインに首を振らずにサインどおりの投球。「これまで首振ってやられてましたから」。

 この日、ナイターでヤクルトが巨人に敗れたため、阪神は6月11日以来の首位奪回。7年ぶりの奪首をフイにした左腕が大記録でチームを再度トップに押し上げた。

 大阪・興国高時代は外野手兼投手。奈良産業大の野球部1期生で、外野からの返球に伸びがあるのを見て新田泰士監督が投手に専念させた。この左腕の活躍で大学は近畿大学リーグの1部に昇格した。

 本田技研鈴鹿からプロ入りしたのは91年。ファンだった阪神の1位指名は、この年7球団に1位指名された亜細亜大・小池秀郎投手の“ハズレ”だった。当時すでに結婚、生まれたばかりの長女がいた。“子連れルーキー”のドラ1は大洋・門田富昭投手以来、13年ぶりのことだった。

 阪神投手陣のノーヒットノーラン投手は湯舟以降、川尻哲郎(98年5月26日、中日9回戦=倉敷)、井川慶(04年10月4日、広島28回戦=広島)と2度あるが、本拠地甲子園では湯舟以来14年間達成されていない。


【2009/6/14 スポニチ】

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