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【5月5日】1969年(昭44) 

 【中日3-1広島】燃える男、中日・星野仙一投手のプロ入り初勝利は大々的に報道されなかった。こどもの日に初白星を挙げた星野だが、翌6日は新聞休刊日。福井県営球場で行われた広島6回戦では、テレビのスポーツニュースでも結果だけが流され、星野の初勝利がスポーツ新聞の活字になったのは7日になってからだった。

 しかし、負けじ魂あふれる星野にとっては報道されようとされまいと、屈辱を晴らす大切な一戦だった。星野はこの年の4月13日、開幕から3戦目となる広島市民球場での広島3回戦に初登板初先発。意気揚々とマウンドに上がったが、結果は42球で2回3失点KO。大学時代からのライバル・山本浩司(後に浩二)左翼手にヒットを打たれた後、興津立雄三塁手に左中間へ3ランを浴びての黒星スタートだった。

 もう1人のライバル、阪神・田淵幸一捕手は同日、甲子園での大洋3回戦に「7番・捕手」で初スタメン。2本塁打を放ち、大型新人の評判に違わぬ活躍をみせた。

 星野は防御率13・50で、この1試合でファーム落ち。新人王候補も「星野センイチのセンは、何にもセンのセン」と自嘲気味になり、来る日も来る日もランニングと300球投げ込み。“オヤジ”こと水原茂監督が星野に課したノルマだった。

 星野に大きな期待をかけていた水原監督は20日間でファームから1軍に再昇格させ、星野の強気の性格を考えて、一度やられた広島戦での登板を命じた。

 初回、四球の後に衣笠祥雄一塁手が右前打を放ち、続く山本一義右翼手に右前適時打を浴びて先制点を許した。また、デビュー戦の再現か…、というムードがベンチに漂った時にルーキーを救ったのは、ベテランの高木時夫捕手だった。広島がヒットエンドランを仕掛けるとみて、星野にウエストボールを要求。二塁に走った山本一を刺してピンチを脱した。

 これで星野は息を吹き返した。2回から4回まではパーフェクト。5回に連打されたが、無得点を抑え、結局6回3分の2を投げ、5安打3奪三振で失点1。星野と同期入団の島谷金二三塁手が2回に逆転の2点弾、5回には江島巧右翼手がソロを放ち計3点を挙げた中日は、伊藤久雄投手が後続を断ち、広島を下した。プロ2戦目で星野は「殴られたら(打たれたら)、殴り返せ」のモットーを実践した形となったが、よほどつらかったのだろう、この時は誰はばからず号泣した。

 星野の通算成績は146勝121敗。巨人戦の35勝(31敗)、阪神戦36勝(19敗)と当時の2強には勝ち星を重ねているが、大洋、ヤクルト、広島戦はすべて30勝以下。与那嶺要監督らが意図的にジャイアンツ、タイガース戦に星野を登板させたという背景がよくうかがえる数字である。ちなみにデビュー戦、初勝利の相手の広島での星勘定は通算24勝29敗。唯一の負け越し球団である。


【2008/5/5 スポニチ】
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