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忘れられないその日
人は誰にでも、この日、この時間は何をしていた――。 そんなはっきりと記憶をたどることのできる日がある。
例えば、「9・11」。
多くの人は、その惨劇をどこでどう見ていたか。それをあたかも、きのうのことのように思い出すことができるはずだ。
個人的に2001年5月2日は、そんな日の一つ。
当時レッドソックスで投げていた野茂英雄が、マリナーズでデビューしたばかりのイチローと対戦。5回裏、3度目の対決では、野茂のストレートがイチローの背中に当たった。
5月2日と言われても、「?」かも知れないが、野茂とイチローがメジャーで初対決した日で、「ああ」と思い当たる人も多いはず。
そのとき自分は、地元FOXスポーツのスタジオにいた。地元局が、投打のパイオニアの対決をどう伝えるのか。その取材をしていたのだ。
彼らとともに、7時頃から夕食を済ませ、スタジオのテレビモニターで試合観戦。試合も半ばとなったところで、まさに「ドシン」。
顔をゆがめるイチローに、アンカーの一人、ビル・ウィキシー氏は「これは、国際的な事件じゃないのか」と、真顔で言った。
「これで、このシーンが確実に日本の新聞の1面だろう」と話していたのは、もう一人のアンカー、トム・グラスゴウ氏で、彼は今でもマリナーズ戦のラジオのプレゲームショーを『KOMOラジオ』で担当しており、当時のことを聞けば、やはり覚えていた。
「衝撃的だったなあ。いろんな意味で。こちらも対決を注目している中での死球は想定外だったから」
そのグラスゴウ氏は、「あの年、確か野茂はノーヒットノーランもやったんじゃなかったっけ?」と言う。
その通りである。野茂はレッドソックスでのデビュー戦、4月4日(現地時間)のオリオールズ戦で、史上4人目となる両リーグでのノーヒットノーランを達成している。
彼は改めて振り返った。
「投手として復活を果たした野茂と、4月からこちらの想像を超える活躍を続けていたイチロー。報道に携わったものなら、忘れられるはずがない」
対照的な歴史を背負っての対戦
さて、あれから7年。二人の立場は変わっていた。
イチローはメジャーでも超がつくほどのトッププレーヤーになった。あの年にMVPに選ばれると、その年も含めて毎年のようにオールスター出場。200安打も7年連続に伸ばした。
野茂はといえば、翌年からドジャースに復帰すると連続で16勝をマークしたが、以降はケガもあって、過去2年はメジャーのマウンドから遠ざかった。
ことしも先発としてはキャンプ半ばで望みを絶たれ、リリーフでの再出発。
05年6月5日以来3年ぶりの対決は、そんな対照的な歴史を背負っての顔合わせだった。
結果は……。
皮肉にも、イチローとの対決でだけ野茂が光を放ったのは、偶然か、必然か。
4回、無死一塁でマウンドに上がった野茂は、連続安打で1点を許す。イチローとは無死二、三塁で対戦したが、カウント2-2からの5球目を外角低めに落とすと、イチローのバットが空を切ったのである。
野茂は、「たまたまもありますけど、アウトが取れて良かった」といつも通り淡々と振り返ったが、イチロー本人は、「桑田さんを思い出した」と言うのだから、もう少しこの空振りには、意味があったよう。
イチローは言う。
「(去年、桑田真澄に三振を喫したことと)ダブるよね。やられ方の原理としても同じだし」
去年、交流戦で当時パイレーツの選手だった桑田と対戦した時は、先頭で打席に立ち、カウント2-1と追い込まれてからの4球目、外角のカーブを空振りした。
そこに通じる原理とは?
「(ストレートが)85マイル(約137キロ)というのは、ややこしいところだよね。90(約145キロ)とか91(約146キロ)が出てくると、心理はまったく変わってくるんだけど。そこが桑田さんと同じ原理ということ」
イチローはそう説明したが、そこに感じたのはある意味、野茂の剛球というイメージとのギャップだったのかも知れない。
特別な感情はないと言うが……
ところで、野茂とイチローといえば、投打のパイオニア。その限りにおいては、永久に特別な関係だが、当人同士はその関係を問われて当惑していた。
イチローは少し考えて、「難しいところですね。少なくとも野茂さんは、そうは思っていないでしょう」
それに対して野茂も、こう応じる。
「特別な感情? ないですね。こっちに来ているバッターもみんな良いバッターですし、気を緩められないのはほかの選手と変わりない」
ここにもファンやメディアとのギャップがあるが、イチローがこう言葉を足す。
「日本での対戦も含めて、そういう感情を抱く関係だったかというと、そこもクエスチョンなんで、(特別かと聞かれれば)難しくはあるよね。(松坂)大輔とは、明らかに違う」
まあそれでも、早い時間に起きてテレビを見ていたファンとしては、野茂がマウンドにいて、イチローに打席が回ってきた時には、目がパッチリしたに違いない。
そして、三振を取った時には、野茂の往年のピッチングを思い出し、イチローが、まるで敬意を払うがごとくアウトピッチを狙いにいった姿勢にも、胸を熱くしたことだろう。
二人の間に特別な意識はなくとも、二人がメジャーの嚆矢(こうし)であることに変わりはないのだから。
これが最後の対戦になる可能性は、否定できない。そうなれば、4月15日という日もまた、特別な日として人々の記憶に刻まれるのだろうか。
木本大志の『ICHIRO STYLE 2008』 VOL.2
【2008/4/17 スポーツナビ】
人は誰にでも、この日、この時間は何をしていた――。 そんなはっきりと記憶をたどることのできる日がある。
例えば、「9・11」。
多くの人は、その惨劇をどこでどう見ていたか。それをあたかも、きのうのことのように思い出すことができるはずだ。
個人的に2001年5月2日は、そんな日の一つ。
当時レッドソックスで投げていた野茂英雄が、マリナーズでデビューしたばかりのイチローと対戦。5回裏、3度目の対決では、野茂のストレートがイチローの背中に当たった。
5月2日と言われても、「?」かも知れないが、野茂とイチローがメジャーで初対決した日で、「ああ」と思い当たる人も多いはず。
そのとき自分は、地元FOXスポーツのスタジオにいた。地元局が、投打のパイオニアの対決をどう伝えるのか。その取材をしていたのだ。
彼らとともに、7時頃から夕食を済ませ、スタジオのテレビモニターで試合観戦。試合も半ばとなったところで、まさに「ドシン」。
顔をゆがめるイチローに、アンカーの一人、ビル・ウィキシー氏は「これは、国際的な事件じゃないのか」と、真顔で言った。
「これで、このシーンが確実に日本の新聞の1面だろう」と話していたのは、もう一人のアンカー、トム・グラスゴウ氏で、彼は今でもマリナーズ戦のラジオのプレゲームショーを『KOMOラジオ』で担当しており、当時のことを聞けば、やはり覚えていた。
「衝撃的だったなあ。いろんな意味で。こちらも対決を注目している中での死球は想定外だったから」
そのグラスゴウ氏は、「あの年、確か野茂はノーヒットノーランもやったんじゃなかったっけ?」と言う。
その通りである。野茂はレッドソックスでのデビュー戦、4月4日(現地時間)のオリオールズ戦で、史上4人目となる両リーグでのノーヒットノーランを達成している。
彼は改めて振り返った。
「投手として復活を果たした野茂と、4月からこちらの想像を超える活躍を続けていたイチロー。報道に携わったものなら、忘れられるはずがない」
対照的な歴史を背負っての対戦
さて、あれから7年。二人の立場は変わっていた。
イチローはメジャーでも超がつくほどのトッププレーヤーになった。あの年にMVPに選ばれると、その年も含めて毎年のようにオールスター出場。200安打も7年連続に伸ばした。
野茂はといえば、翌年からドジャースに復帰すると連続で16勝をマークしたが、以降はケガもあって、過去2年はメジャーのマウンドから遠ざかった。
ことしも先発としてはキャンプ半ばで望みを絶たれ、リリーフでの再出発。
05年6月5日以来3年ぶりの対決は、そんな対照的な歴史を背負っての顔合わせだった。
結果は……。
皮肉にも、イチローとの対決でだけ野茂が光を放ったのは、偶然か、必然か。
4回、無死一塁でマウンドに上がった野茂は、連続安打で1点を許す。イチローとは無死二、三塁で対戦したが、カウント2-2からの5球目を外角低めに落とすと、イチローのバットが空を切ったのである。
野茂は、「たまたまもありますけど、アウトが取れて良かった」といつも通り淡々と振り返ったが、イチロー本人は、「桑田さんを思い出した」と言うのだから、もう少しこの空振りには、意味があったよう。
イチローは言う。
「(去年、桑田真澄に三振を喫したことと)ダブるよね。やられ方の原理としても同じだし」
去年、交流戦で当時パイレーツの選手だった桑田と対戦した時は、先頭で打席に立ち、カウント2-1と追い込まれてからの4球目、外角のカーブを空振りした。
そこに通じる原理とは?
「(ストレートが)85マイル(約137キロ)というのは、ややこしいところだよね。90(約145キロ)とか91(約146キロ)が出てくると、心理はまったく変わってくるんだけど。そこが桑田さんと同じ原理ということ」
イチローはそう説明したが、そこに感じたのはある意味、野茂の剛球というイメージとのギャップだったのかも知れない。
特別な感情はないと言うが……
ところで、野茂とイチローといえば、投打のパイオニア。その限りにおいては、永久に特別な関係だが、当人同士はその関係を問われて当惑していた。
イチローは少し考えて、「難しいところですね。少なくとも野茂さんは、そうは思っていないでしょう」
それに対して野茂も、こう応じる。
「特別な感情? ないですね。こっちに来ているバッターもみんな良いバッターですし、気を緩められないのはほかの選手と変わりない」
ここにもファンやメディアとのギャップがあるが、イチローがこう言葉を足す。
「日本での対戦も含めて、そういう感情を抱く関係だったかというと、そこもクエスチョンなんで、(特別かと聞かれれば)難しくはあるよね。(松坂)大輔とは、明らかに違う」
まあそれでも、早い時間に起きてテレビを見ていたファンとしては、野茂がマウンドにいて、イチローに打席が回ってきた時には、目がパッチリしたに違いない。
そして、三振を取った時には、野茂の往年のピッチングを思い出し、イチローが、まるで敬意を払うがごとくアウトピッチを狙いにいった姿勢にも、胸を熱くしたことだろう。
二人の間に特別な意識はなくとも、二人がメジャーの嚆矢(こうし)であることに変わりはないのだから。
これが最後の対戦になる可能性は、否定できない。そうなれば、4月15日という日もまた、特別な日として人々の記憶に刻まれるのだろうか。
木本大志の『ICHIRO STYLE 2008』 VOL.2
【2008/4/17 スポーツナビ】
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