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【4月17日】2004年(平16) 

 【日本ハム6-2ロッテ】くしくも同じ日だった。02年4月17日、右ひじ痛で2軍落ちした日に、丸2年間勝ち星なしの日本ハム・岩本勉投手は、1軍の先発のマウンドに立った。

 5度も開幕投手を務めた右腕。引退を勧める周囲の声に抗い、背番号18は意地で戦いの場に帰ってきた。渾身の102球で6回3分の2を投げ4安打1失点。打線の援護で736日ぶりの勝利投手になると、いつもは明るい男が肩を震わせ、目から涙がとめどなくあふれ出た。

 「泣くまいと思うとったのに…。何しゃべったらいいか分からん」。お立ち台で泣きじゃくる岩本。それでも、ヒーローインタビューの最後だけはきっちり締めようと思い、東京ドームの4万2000人の観衆に問いかけた。「皆さん、言うていいですか?」。「いいぞーぉ」とライトスタンドが呼応した。

 「まいどどーもっ!」。久しぶりに聞く決めゼリフに、べンチに残って様子を見守っていた同級生の新庄剛志外野手が大きな拍手を送り、観衆からは「頑張れぇー」と歓声が飛んだ。

 岩本を奮い立たせた男がいた。ロッテの先発は黒木知宏投手。岩本を上回る995日ぶりの復帰戦だった。「相手も復活をかけて投げている。先にマウンドを降りるわけにはいかない」と岩本は誓った。

 平均145キロ出ていたストレートも今では140キロを出すのが精いっぱい。変化球も序盤はすっぽ抜けた。「ピチピチの調子やなかったけどな」という岩本は得点される確率が高くなる先頭打者だけを出さないことに神経を使い、3回を除きそれができたことで大崩れしなかった。

 「絶対勝ちを付けますから」。試合前に小笠原道大三塁手や女房役の高橋信二捕手に声をかけられた岩本だが、その高橋が2回に先制の3点本塁打を左翼席に運んだ。「黒木さんが投げていることでロッテファンの声援がすごかった。先に点を取られたら、あの雰囲気に押されて岩本さんも苦しいと思った」と高橋。この援護弾で岩本は、ロッテファンの怒涛の応援にも負けず自分の投球ができた。

 「復活というより、僕はまだ発展途上。乗り越えるべき壁はまだある。これを機に新しい岩本を完成させていきたい」。新たな気持ちで再スタートを切った岩本だったが、黒木との対決で燃え尽きてしまったように02年はこの1勝だけで終わってしまった。ひじ痛が再発し、登録抹消。翌05年に2勝をマークしたものの新しい岩本勉は完成せず、移転した新本拠地の札幌ドームでは1勝もできぬまま自由契約に。現役続行を訴えたが、他球団からも声はかからなかった。

 89年のドラフト2位。8球団に指名された野茂英雄投手や大魔神・佐々木主浩投手ら大豊作の年に、高校生右腕として一番最初に指名された。大阪・阪南大高(旧大鉄高)時代から、145キロのストレートを投げ込み、スカウトの評価はその投球フォームから“江川2世”と評判だった。チームが夏の甲子園の予選を前に不祥事で出場辞退。その前の公式戦でもけがなどであまり登板機会がなく、ベールに包まれたような状態だったため、指名を敬遠した球団が続出。運良く日本ハムが単独指名にこぎつけた。

 通算63勝79敗。引退後はそのひょうきんなキャラクターで野球解説だけでなく、多方面で活躍している。


【2009/4/17 スポニチ】
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