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【12月22日】1990年(平2) 


 予想より400万円足りなかった。それでも年俸3倍増の3600万円、8つのタイトル料の“別封”が1000万円。しめて4600万円で判を押したのは、近鉄のスーパールーキー・野茂英雄投手。初の契約更改に70分の時間を費やした。

 「提示された金額を見たときの気持ち?まあいいだろう、と…。不満とかじゃなく、これで来年もやってやろうという気持ちになった」と野茂。最多勝(18勝)、最優秀防御率(2・91)、最高勝率(6割9分2厘)、最多奪三振(287個)の投手部門の主要タイトルを総ナメし、最優秀選手、ベストナイン、沢村賞、そして新人王とありとあらゆる8個の勲章を手にした新人右腕は、タイトル料と合わせて2年目にしてプロ野球初の5000万円ゲットかという憶測が流れ、ムードは盛り上がった。それでも近鉄は“世論”に引きずられそうになりながらも大盤振る舞いをしなかった。

 「(査定ポイントで)悪いところがない。よくやってくれた」。交渉に同席した前田球団社長は、リーグ2連覇を逃し、明るい話題がない中で野茂の大活躍を手放しで喜んだ。が、肝心の年俸となると、そこは経営者。甘い顔はしなかった。

 「他の選手とのバランスを考えた。世間で思っていたのよりも低かったかもしれない。安すぎても困るが、逆に高すぎても22歳と若い野茂君にはプラスにならない」。前田社長はV逸で多くの選手の年俸が上がらない状況で、大車輪の活躍を見せたとはいえ、野茂だけ突出するわけにはいかないと判断。チームをこれまで支えてきたベテラン・中堅に配慮しての“落としどころ”が3倍増という結論。5000万円にはあと少しというところで、“寸止め”にして2年目のさらなる飛躍に期待した。

 気の早い報道陣が前田社長に質問した。「来年活躍すれば、次は1億円突破ですか?」。バランス重視の前田社長は答えた。「今年以上の働きをしたからといって、1億円は無理だろう」。ただ、こう付け加えた。「今年と同じような活躍を3年続けたら、2年後は間違いなく大台を突破するでしょう」。

 野茂は近鉄のエースとして91、92年とも連続最多勝のタイトルを保持した。そして、前田社長の言葉通り、年俸は6600万円とステップして92年のオフに1億1400万円に到達した。

 初の更改を終えた後、野茂は1億円について「僕の目標じゃない。単なる通過点。まだまだ上はありますから。限度ではないでしょう」と言い切った。前田社長の“予言”は当たったが、野茂は金よりも自分の野球スタイルを追求し、トルネード投法でメジャーに挑み、いくつもの通過点を超えて、栄光とその見返りの報酬を手にした。

 1年前までは月給12万円。大金を手にしても「ちょっとぜいたくになったかな」という程度。少しでも値段が高いな、と思うと買い物を控えてしまうクセが抜けない背番号11。「買いたいもの?あまりないなあ…」と史上初のルーキー4000万円突破にも、野球以外はそれほど興味がなさそうだった。(金額は推定)


【2009/12/22 スポニチ】
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