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【10月24日】1996年(平8) 

 【オリックス5―2巨人】61歳になる男が血相を変えてセンターへ走った。「どこ見とるんや!見えないんなら代ってもらえ!」。オリックス・仰木彬監督は開口一番、井野修二塁塁審に大声で詰め寄った。

 4回2死一、三塁、巨人・井上真二左翼手の一打はセンターへ。守備のスペシャリスト、本西厚博中堅手が地面スレスレ、ダイレクトキャッチした、ように見えた。本西もグラブを高々と上げ、捕球したことをアピールしたが、井野塁審の両腕は左右に大きく広げられた。巨人が3点差に詰め寄る1点を入れた。

 両ひざをついたまま、「なぜだ!」とグラブを放り投げて本西は抗議。その瞬間にはもう、一塁側ベンチから仰木監督はダッシュ。顔面を紅潮させながら一目散に走り、井野塁審につかみかからんばかりの強い口調で判定の見直しを要求した。

 打球が地面に落ちたことを主張する井野塁審の言葉に、指揮官は一度選手を全員ベンチに引き上げさせた。日本シリーズ史上初の放棄試合か…。グリーンスタジアム神戸を埋めた3万3222人の観客は固唾を飲んで見守った。

 仰木監督はテレビモニターでもう一度、問題のシーンを確認すると、再度審判団に判定変更を迫った。「テレビを見ろ!反省しろ!間違いは間違いと認めろ」「意図的にやっているのか!誤審をする意味が何かあるのか!」執拗な抗議は10分続いたが、井野塁審は「自分がみたままです」の一点張り。もしここで判定が覆れば、今度は巨人側から猛烈な抗議が出て、収拾がつかなくなる。実際映像を見ると、本西が直接捕球しているように見えたが、審判団はこれを突っぱねた。

 試合は3点リード、勝敗も3勝1敗と優位に立ち、日本一間近だったオリックス。それでも仰木監督がこのワンプレーにこだわったのは、勝つことの難しさを人一倍知っているからであった。

 7年前、近鉄を指揮して巨人との日本シリーズに3連勝しながら4連敗。近鉄悲願の日本一がスルリと逃げた。逆の立場も選手時代に経験している。1958年(昭33)のシリーズでは巨人に3連敗した後、仰木が二塁のレギュラーで出場していた西鉄は4連勝で逆転優勝。1試合、いやワンプレーで流れが変わってしまう恐ろしさを十分知っているからこそ、簡単に引き下がってはいけないと心に決めていた。

 体を張った闘将の姿にオリックスナインは奮い立った。特に投手陣はリリーフにたった伊藤隆偉、野村貴仁、鈴木平の3投手が完璧な投球をみせ、巨人の反撃を断ち切った。オリックスは球団創設8年目で初、前身の阪急ブレーブスが日本一になった77年以来19年ぶりの栄冠をつかんだ。

 仰木も監督として3度目の挑戦で初めての日本一だった。「イチローが90点、田口(壮外野手)が80点。あとはみんな60点の選手ばかり」というチームを率いての優勝。俗に“仰木マジック”と言われたが、その極意は指揮官陣頭に立つことにあった。ここぞという時に監督が一番熱くなり、一番前に出る。選手起用の妙に目が奪われがちだが、仰木監督とはそういう人であった。


【2010/10/24 スポニチ】
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