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米大リーグのプレーオフが各地で開幕した。岩村明憲内野手(29)が所属するレイズは、2日に本拠でWソックスとの初戦に臨む。スポーツ報知は岩村に直撃インタビュー。創設11年目で初めて地区優勝したレ軍の変身の秘密と、初の大舞台への意気込みを聞いた。
―弱小チームを強くしたのは岩村選手の力だ、という声がある。
「自分の力だけで強くしたわけではない。ひとつ、ふたつ、アドバイスしたことを、みんながやってくれた」
―アドバイスとは。
「例えば守備。外野手が中継を使わずにノーバウンドで本塁などに返球して、ボールが高く浮く。“大暴投”になって進塁を許す。こんなプレーが多かった。だから(中堅の)アップトンとかに注意をした。あとはピンチのときにマウンドに行って若い投手に声をかけたり。分かる範囲の英語で」
―客観的に見たチームは。
「正直に言うとシーズン中、ヤクルトの野球の方がレベル高いな、と思ったこともある。でも、すごい才能の選手がたくさんいた。化けたらすごいだろうなと。今年は(選手の)才能が開花したという部分が大きい」
―初の地区優勝をどう受け止めている?
「レイズという歴史の“表紙”を作ったと思う。表紙を飾れるくらいの数字は残した。同じ地区にはヤンキースとRソックス。投手陣が充実しているブルージェイズなんか他の地区にいけば優勝できたかもしれない。それらを踏まえて、誇れる成績だと思う」
―シーズンを左右する大きな試合は。
「乱闘に先頭きって加わって、サスペンション(出場停止)をくらったRソックス戦(6月5日)かな。初めての出場停止。ヤクルトの時は、どちらかというと(感情を)抑えていたから」
―なぜ大きかった?
「乱闘でチームメートに認めてもらった部分もあった。レイズとしては、騒動はあの試合だけで終わっていた。だけど、その後テレビで(R軍の守護神)パペルボンが『まだ、あの戦いは終わっていない』と挑発した。あれを聞いてチームみんながまとまった。乱闘は良くないことと分かっている。だから、野球でやり返してやろうと」
―最後の敵地3連戦では、9月9日にパペルボンを打って勝った。
「盛り上がった。そういう事情があったから、ベンチがどんちゃん騒ぎになった。ビッグ・パピー(オーティズ)とか(松坂)大輔とか仲の良い選手はいるが、ボストンに負けるのは腹立たしかったから。うれしかった」
―初めてのプレーオフが始まる。
「短期決戦というのは流れがあると言うが、僕らの今回の戦いに、流れは当てはまらない。大敗して嫌な雰囲気になっても次の日は大勝できるし、接戦で勝つ日もある。勝つことに慣れて、チームには一戦一戦の切り替えができる強さがある。簡単に、一気にやられてしまうかも、という心配はしていない」
―マドン監督とのきずなも固いでしょう。
「三塁から二塁へのコンバートを言われた時は、僕も三塁手としてのプライドがあった。でも、あの監督だったから了承できた。どうしたらチームが強くなるか、選手の目線で一緒に考える人だから。それは出会った時から感じていた。休みだと言われていたのに、僕だけ『アキ、悪いが今日も頼む』と急きょ試合に出たことも多かった」
―チームは『9=8』【注】という合言葉で一丸になった。プレーオフのスローガンは?
「僕が考えるなら、『9=FL』かな。FLはフロリダの略。プレーオフに出場するナインは、フロリダのファンと一緒に戦って、喜びも分かち合う。勝率の良い本拠地からスタートできるので、満員のファンの声援を力に戦っていきたい」
◆岩村 明憲(いわむら・あきのり)1979年2月9日、愛媛・宇和島市生まれ。29歳。宇和島東高から96年のドラフト2位でヤクルトに入団。04年から3年連続で打率3割、30本塁打以上。ゴールデングラブを6度受賞。ポスティング(入札)により、07年に3年総額770万ドル(約9億円)でデビルレイズ(現レイズ)と契約。家族は妻と1男。今季は152試合に出場し、打率2割7分4厘。48打点、6本塁打。175センチ、80キロ。右投左打。
【注】マドン監督が今季のチームスローガンに掲げた“数式”。「9人が9回をしっかりプレーし、1つになれば、POへ進む8チームに入れる」という意味。Tシャツにプリントして選手に配り、結束を深めた。
【2008/10/3 スポーツ報知】
―弱小チームを強くしたのは岩村選手の力だ、という声がある。
「自分の力だけで強くしたわけではない。ひとつ、ふたつ、アドバイスしたことを、みんながやってくれた」
―アドバイスとは。
「例えば守備。外野手が中継を使わずにノーバウンドで本塁などに返球して、ボールが高く浮く。“大暴投”になって進塁を許す。こんなプレーが多かった。だから(中堅の)アップトンとかに注意をした。あとはピンチのときにマウンドに行って若い投手に声をかけたり。分かる範囲の英語で」
―客観的に見たチームは。
「正直に言うとシーズン中、ヤクルトの野球の方がレベル高いな、と思ったこともある。でも、すごい才能の選手がたくさんいた。化けたらすごいだろうなと。今年は(選手の)才能が開花したという部分が大きい」
―初の地区優勝をどう受け止めている?
「レイズという歴史の“表紙”を作ったと思う。表紙を飾れるくらいの数字は残した。同じ地区にはヤンキースとRソックス。投手陣が充実しているブルージェイズなんか他の地区にいけば優勝できたかもしれない。それらを踏まえて、誇れる成績だと思う」
―シーズンを左右する大きな試合は。
「乱闘に先頭きって加わって、サスペンション(出場停止)をくらったRソックス戦(6月5日)かな。初めての出場停止。ヤクルトの時は、どちらかというと(感情を)抑えていたから」
―なぜ大きかった?
「乱闘でチームメートに認めてもらった部分もあった。レイズとしては、騒動はあの試合だけで終わっていた。だけど、その後テレビで(R軍の守護神)パペルボンが『まだ、あの戦いは終わっていない』と挑発した。あれを聞いてチームみんながまとまった。乱闘は良くないことと分かっている。だから、野球でやり返してやろうと」
―最後の敵地3連戦では、9月9日にパペルボンを打って勝った。
「盛り上がった。そういう事情があったから、ベンチがどんちゃん騒ぎになった。ビッグ・パピー(オーティズ)とか(松坂)大輔とか仲の良い選手はいるが、ボストンに負けるのは腹立たしかったから。うれしかった」
―初めてのプレーオフが始まる。
「短期決戦というのは流れがあると言うが、僕らの今回の戦いに、流れは当てはまらない。大敗して嫌な雰囲気になっても次の日は大勝できるし、接戦で勝つ日もある。勝つことに慣れて、チームには一戦一戦の切り替えができる強さがある。簡単に、一気にやられてしまうかも、という心配はしていない」
―マドン監督とのきずなも固いでしょう。
「三塁から二塁へのコンバートを言われた時は、僕も三塁手としてのプライドがあった。でも、あの監督だったから了承できた。どうしたらチームが強くなるか、選手の目線で一緒に考える人だから。それは出会った時から感じていた。休みだと言われていたのに、僕だけ『アキ、悪いが今日も頼む』と急きょ試合に出たことも多かった」
―チームは『9=8』【注】という合言葉で一丸になった。プレーオフのスローガンは?
「僕が考えるなら、『9=FL』かな。FLはフロリダの略。プレーオフに出場するナインは、フロリダのファンと一緒に戦って、喜びも分かち合う。勝率の良い本拠地からスタートできるので、満員のファンの声援を力に戦っていきたい」
◆岩村 明憲(いわむら・あきのり)1979年2月9日、愛媛・宇和島市生まれ。29歳。宇和島東高から96年のドラフト2位でヤクルトに入団。04年から3年連続で打率3割、30本塁打以上。ゴールデングラブを6度受賞。ポスティング(入札)により、07年に3年総額770万ドル(約9億円)でデビルレイズ(現レイズ)と契約。家族は妻と1男。今季は152試合に出場し、打率2割7分4厘。48打点、6本塁打。175センチ、80キロ。右投左打。
【注】マドン監督が今季のチームスローガンに掲げた“数式”。「9人が9回をしっかりプレーし、1つになれば、POへ進む8チームに入れる」という意味。Tシャツにプリントして選手に配り、結束を深めた。
【2008/10/3 スポーツ報知】
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