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 午後7時5分。プレーボールがかかった直後、テキサスの太陽がまだ上空にある中で、イチローが決めた。レンジャーズの期待の若手、メンドーサの初球の速球を、何の苦もないように見えるスイングで左前に運んだ。

 なかなか波に乗りきれない今季、3000安打にたどり着くまではいつになく苦労をしたが、王手をかけて臨んだ試合ではあっさりとやってのけた。そればかりではない。六回には3001安打目もマークし、今季ずっと言い続けていた「3000本は通過点でしかない」という言葉そのままに、さらりと通り過ぎた。

 マリナーズの地元、シアトル以外の球場では、日米通算3000安打はさほど注目を浴びていない。アーリントンでも一回に三塁側のファンが立ち上がって拍手を贈ったのは、記録達成の瞬間ではなく、電光掲示板に「イチロー3000安打到達」と流れたのを見た後だった。イチローも一塁上で、ちょっとだけヘルメットを上げただけだった。

 日本での安打数を含めた記録など意味がない、と大半の米国の野球ファンは思っているようだが、マリナーズのリグルマン監督は違う。「彼が(日本ではなく)ずっと米国でプレーしたとしても、同じ数だけ打っていたと思う」という。舞台がどこであれ、イチローのヒットを打つ技術レベルが高いことに変わりはないし、イチローはそれを証明できる、と監督は考えているらしい。【冨重圭以子】

「夢は50歳現役」3000本から遥かな地平へ

 米国西部、テキサスの地でイチローが日米3000安打を達成した。「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところにたどりつくただ一つの道」という鈴木一朗は、一切の妥協を排し、故・仰木彬監督からその名を授かった「イチロー」であり続けた。

 イチローは朝起きてから用意周到に1日を過ごす。プレーボールの時間から逆算し、他の選手より1時間前に球場入りし、トレーニング、マッサージに時間を費やし、屋内で打撃をチェックし、ようやくフィールドでフリー打撃に移る。試合中も肩甲骨、(股、こ)関節、ひざ、足と絶えず動かし、「一瞬」に備える。他者を寄せつけない空気が、周囲に漂う。

 そんなイチローという冷徹で禁欲的な仮面の下には、海を渡ってメジャーに挑んだ時の熱い思いが息づいている。00年10月13日、神戸。日本での本拠地最終戦の後、時間がたつのも忘れ、球場の外で約200メートルの列をつくっていたファン一人一人と握手した。「アメリカでのプレーを見て、喜んでいただけるよう、精いっぱいプレーしたい」。イチローはメジャー1年目から7年連続で200安打を放ち、あの夜の約束を守り続けている。

 マリナーズの先輩で45歳の今も現役のモイヤー投手(現フィリーズ)に聞かれたことがある。「君はいくつまでプレーしたいんだい?」。イチローは真っすぐに答えた。「目標は45歳、夢は50歳」。34歳のイチローが「夢」にたどりついた時、どんな記録が樹立されているのか。背番号51番の先に延びる道ははるかかなたで、誰にも見えない。【高橋秀明】

【2008/7/30 毎日新聞】
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