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【7月30日】1990年(平2) 

 【ロッテ12-3ダイエー】“新妻”に、昭和生まれの明治男は戸惑った。「何でここでフォークなんや。決め球に取っておくのが普通やろ」。声に出さずとも、マウンド上のロッテ・村田兆治投手は不機嫌そうにサインに首を振った。

 “新妻”の次の要求はスライダー。これも村田の意思と違った。「入りは真っ直ぐ。それも高めのボール球。手を出せば儲けもの。勝負はそこから」と考えていた村田。ところが、この日先発マスクをかぶったマイク・ディアズ捕手は、どんどんウイニングショットのサインを出した。

 呼吸が合わないバッテリー。こういう時はえてしてやられるものだ。村田の高めに浮いたストレートは、ダイエーの3番岸川勝也中堅手にセンターバックスクリーンへ特大の135メートル弾となって運ばれた。

 熱くなって、思わずマウンドを蹴り上げた村田。これには“ランボー”と呼ばれた全米アームレスリングチャンピオンもヒビった。村田は決めた。“何のサインを出そうと、オレの投げたい球を投げる”と。

 すると、2回以降はダイエー打線の当たりが止まった。カーブのサインにうなずいたかと思うと、ストレートを投げ込んだ村田にディアズは大慌て。走者がいない時は何球もミットからボールをこぼした。

 それでも元々大リーグで捕手をやっていた男。必死に捕球しているうちに、村田の意図が汲み取れるようになってきた。村田も投げているうちに“初夜”の新妻と呼吸が合ってきた。「キャッチングの基本はできているし、体が大きい(1メートル88、100キロ)から的がでかくていい」。気がつけば6回途中まで岸川の2点本塁打のみに抑えた。

 全米アームレスリング大会で優勝。“ランボー”と呼ばれ、乱闘となれば大暴れした豪快そうなディアズも、実は繊細な心の持ち主だった。初回の2点を取り戻そうと、バットを持つと燃えた。2回の左前打は、ロッテ逆転の口火を切った一打となり、3回には浜中英次投手から左翼へソロ本塁打を放った。“内助の功”で打線が爆発したロッテは、村田に約1カ月ぶりの白星がついた。ディアズが日本で捕手として先発し、初めて勝った記念すべき試合はこんな落ち着かないものだった。

 指名打者オンリーのディアズが、いきなり捕手で起用されたのは、金田正一監督の発案だった。Bクラスに低迷するチームへのカンフル剤として、6月23日に西武戦で審判に暴行を働き、1カ月の出場停止処分で謹慎中に考えた改革案だった。広島に在籍したヘンリー・ギャレット外野手がマスクをかぶって以来、実に11年ぶりの外国人捕手だった。

 しかし、投手陣から「配球の組立てがバラバラ。投げにくい」という意見が多く、この年は15試合出場でもとの指名打者に戻った。それでもほとんど守備につかず、ベンチにいてバットだけを振ってくる生活から解放されたことで、打撃は好調に。この年本塁打は前年の39本から33本に、打点も105点から101点に減ったが、打率は3割1分1厘に上昇し、打撃成績3位にとなった。「キャッチャーやって配球を読めるようになったんだ」。カンフル剤効果があったの、チームではなく、ディアズ本人だったようだ。


【2009/7/30 スポニチ】
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