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 国民的ヒーローが戦いを前にして棄権――18日に行われた陸上110m障害の予選での劉翔(中国)の退場劇は、中国全土の国民に大きなショックをもたらした。

 多くの中国人はこのまさかの幕切れに、最初は何があったのかも分からず、ただぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。その後は、英雄のあっけない退場に非難と同情の世論がうずまき、ここしばらくは“劉翔ショック”の余波は終わりそうにない。

■競技場周辺に集まる「チケット難民」たち

 さて、あれから一夜明けた19日。その悲劇の舞台となった国家体育場近くの地下鉄駅周辺では、いつもの見慣れた風景が繰り広げられていた。そこでは、多くの人たちが「チケット求む」と書かれた段ボール紙を胸の前に掲げ、あちこちをうろつき、会場へ急ぐ人たちに声を掛けている。中国人はもちろんだが、西洋系の外国人も非常に多い。彼らは皆、北京五輪のチケットはないが、競技場に入場したくてたまらない「チケット難民」たちなのだ。

 このうちの一人、米国人で自営業をしているブラウンさんは、5日前に北京に到着。英語で書かれた「チケット求む」の紙切れを手に、毎日、ここを歩き回っている。これまで幸運にも、バスケットボールや水泳のチケットを手に入れ、会場に足を運んだそうだ。ただうまく行かない日もあり、一日待ちぼうけのまま、ホテルに帰ったことも。「閉幕まで、毎日ここで粘るよ。チケットを手に入れるには、この方法しかないからね」と苦笑いする。

 これまで繰り広げられた北京五輪チケット販売の様子は、日本にも伝わっていたことだろう。抽選方式が取られた第1次予約のあと、早い者勝ちによる大混乱があり、そして開幕直前の現地販売では徹夜組が出るなど、五輪チケットをめぐっては、中国全土が大騒ぎとなった。そしてこの現地販売をもって、「北京開催の試合についてはすべて売り切れ」というのが、当局の発表であった。それでもチケットが欲しいという人たちが、人の集まる地下鉄駅周辺にたむろしているというわけだ。
■真の「市民のためのスポーツイベント」とは?

 ところが驚くべきことに、実際には会場に多くの空席がある。北京市民が一度は足を踏み入れたいメーンスタジアム、国家体育場(通称:鳥の巣)。あの“劉翔ショック”が起きた当日も、2階席にはまとまった数の空席があった。またそのほかの会場でも、相当数の空席がある。開幕直後から、それをテレビで見た市民から非難が続出。「売り切れといったじゃないか?」という批判が出てくるのは当然だろう。
 これに対して、北京五輪組織委員会は「空席の多くはスポンサー企業にまわったもの」と説明し、「チケットを持っている人はできるだけ会場に足を運んで欲しい」と呼びかけた。

 中国語で「贈票」といわれる、このスポンサー用のチケットは当初、「最小限に抑える」とされていたが、実際には相当数あるものと思われる。これがさまざまなルートで回って、結局競技に全く興味にない人に渡ってしまい、これらの空席が生まれているというのだ。
 そして、こういったチケット不足とは裏腹に、どこの会場でも見かける、ある集団がある。そろいのTシャツに身を包んだ500人規模の大集団だ。背中には「北京職工文明応援団」というロゴがついている。彼らは日本で言えば、労働組合の団体。各企業の組合員が集まって、地域単位で応援団を結成し、「模範となる応援を繰り広げる」のが目的である。彼らはいわば「動員組」であり、一般に年配の男性や女性が多い。どこの会場でも、彼らが国旗を振りながら、大声援を送っている。先週行われたソフトボールの中国vs米国戦では、一塁側の応援団が「がんばれ! 中国」。一方、三塁側の応援団はなぜか「がんばれ! 米国」を叫んでいた。中国に偏らない公平な応援が“模範的”というわけなのだろうが、大きな違和感を感じたのは私だけではないだろう。

 いや、その応援の是非はともかく、外国や地方からやってきて、一枚のチケットを求めてさまよい歩く人がいる一方で、五輪に全く興味のない人に大量のチケットを贈ったり、同じ服に身を固めた「動員組」でスタンドを埋める五輪のチケット政策には疑問を感じざるを得ない。この人たちのために、一般市民の多くがチケットを手に入れることなど夢のまた夢、という状況になっているのだ。
 中国が真の意味で「市民のためのスポーツイベント」を開けるようになるのはいつのことだろう。北京五輪で何かが変わると信じていたのだが……。

<了>

著者=朝倉浩之

【2008/8/19 スポーツナビ】
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