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【9月9日】2005年(平17) 

 【巨人3-0中日】逆転Vの望みをつなぐため、自分の勝ち星よりチームの勝利を念頭に置いてマウンドに上がった40歳ちょうどの左腕。もう一人の左腕はプロ24年目、42歳4カ月にして、初の最多勝のタイトルを狙っていた。

 東京ドームの巨人―中日17回戦は、中日・山本昌、巨人・工藤公康の両40代投手が先発した。長いプロ野球の歴史の中で、40代同士の“不惑対決”となるのは、実に55年ぶり。セパ両リーグが発足した1950年(昭25)以来2度目でセ・リーグでは初めてのことだった。

 まず工藤がマウンドに上がった。「先に失点したら彼の術中にはまってしまう」。山本昌との勝負に工藤は立ち上がりをいつも以上に気を遣った。特に四球だけは禁物と立ち上がりからコントロールできたカーブでストライクを早めに取り、打者を追い込んでストレートで打たせて取ることに没頭。初回を3者凡退で切り抜けた。

 工藤の完璧な投球に負けまい、としたわけではないだろうが、優勝するためには負けられない山本昌は対照的に初回からストライクとボールがはっきりした。カウントを悪くしたところで、1番清水隆行左翼手に左中間二塁打を浴びると、バントで三塁に送られ、3番二岡智宏遊撃手に先制の左前適時打を浴びた。初回でペースを崩された山本昌は2回も無死満塁のピンチを招き、再度清水に痛打され、2点目を献上した。

 三塁側ベンチから落合博満監督がゆっくりマウンドに歩を進めた。1回3分の0、わずか28球で降板。プロ22年目にして巨人戦最短KOとなってしまった。

 「言いようがないです」という山本昌を尻目に、工藤は丁寧な投球で6回まで3安打無四球無失点と文句なしの投球で交代した。完封リレーで背番号47は11勝目をマーク。ハーラーダービートップの広島・黒田博樹投手の12勝にあと1勝と迫った。

 結局、工藤はこれがシーズン最後の1勝となり、タイトル奪取はならず、山本昌もこの試合限りで登録抹消。ドラゴンズも阪神に追いつけず、優勝はならなかった。40代の同世代対決に残っている全エネルギーを注ぎ込んだかのように、結果はどうあれ2人とも燃え尽きてしまった一戦だった。

 55年前の40代対決はというと、11月5日、西宮球場での阪急-毎日(現ロッテ)20回戦。シーズン最後の公式戦で阪急は浜崎真二監督、毎日・湯浅禎夫監督がファンサービスで先発登板したもので、工藤対山本昌のような真剣勝負の様相はなかった。

 試合は48歳10カ月の浜崎が2回8安打3失点で負け投手に。一方、48歳1カ月の湯浅も2安打2失点だったが、投球練習不足がたたり4回で交代。チームは9-2で勝ったものの、勝ち投手にはなれなかった。


【2009/9/9 スポニチ】
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